『ムーディーの微笑』(#5)

僕の物語

ヨダレが口からこぼれ、顎を伝ったことで、僕は現実の世界に帰還した。夢から目が醒めると、どっぷりと脇の下に汗をかき、白いワイシャツが濡れて透けていることを悟る。どうやら僕は立ちながらにして、寝てしまっていたようだ。周囲の人々の冷徹な視線を感じたものの、それを右から左へ受け流した。ムーディー勝山でない限り、その逆も然りだろうが。

 

電車はプラットフォームに突入し、停車を試みるための徐行を行なっていた。この車体の傾斜加減。おそらく、ここは武蔵小杉駅ではないかと予想した。頭の中だけではなく、眉を傾げて、難しい表情を作ってみては、パッと思い付いたかのように、拳と手のひらを合わせてみる。まるで事件の解決の糸口となる重要なヒントを見つけた時の探偵かのごとく。

 

間も無く、抑揚のないアナウンスが流れ、僕の推理が正しかったことが証明された。「おめでとうございます」の一言も言えないのかと、心の中で舌打ちをしつつも、いささかの誇らしさを胸の内に感じ、小さくガッツポーズを作ってみせた。周りの人々は火星人を見るかのような目でこちらに一瞥を投げていた。僕も仕返しと言わんばかりに、或いは、自慢気ではあるが、照れを隠さんばかりに、人差し指で鼻をすすってみせた。

 

機関車トーマスの極々小さな、一部分を見ただけで、それがどのキャラクターかを瞬時に当ててみせるような一種の特技。誰にも評価されないだろうが、自分だけは悦に浸れる類いの特技。評価を前提に自分を曲げることを嫌う僕らしい特技に、少しの孤独と実直さを感じてしまう。そしてこれを特技と呼ぶことに対する異論を受け付ける気はさらさら無かった。

 

そんな他愛もない思考を終え、僕は先程見た長い夢を考察しだした。夢にしては細部があまりに鮮明であった。心の中で潜在的に作り上げた街並みや人々は、少々の寂寥感と諦念感を帯びていた。僕の声は彼らには届かなかった。社会に順応し、刺激物が心の内に侵入されることを拒むための対抗策として、感情の読み取れない微笑みを携えていたのだろうか。彼らは微笑を浮かべながら、僕を拒絶していた気がしてならなかった。夢の中では唯一の味方であったであろう青田の消息が気になったが、青田の連絡先は知らないため、杞憂であろうと受け流した。

 

デジャブの源泉を辿り終え、僕はスマホの画面に目をやった。ワイシャツの袖で、手汗を拭ってから、ホームボタンを再度押し、そこにちょい悪オヤジが映っていることを確認する。心なしか、先程とは見え方に違いがあるように感じられた。彼は黒いサングラス越しに、暖かい同情の眼差しをこちらに投げ掛けている気がした。その包み込むような暖かさに安堵し、僕は右人差し指で彼に触れた。電波が弱いのか、読み込みを示すサークルが延々にぐるぐると回り続けていた。

 

続く

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